ルックバック【構造分析】

ルックバック(2021; 藤本タツキ

※ネタバレあり

 

好きな漫画だけれど、内容面で感想を書くのが非常に難しい。「振り返る」「背中を見る」というモチーフをきちんと追い切れていない感じがある。なのでこの記事では構造分析をメインにしたい。

 

【天才と秀才系】の成長譚と考えると全体の構造が捉えやすいか。

基本構造は三幕に則っており、特にMP(京本との別れ)はちょうど半分あたりに配置されている。

ただ二幕前半がV字型になっているのが特徴的で、全体的にはWっぽい展開になっているように読めた。

また全体尺の都合だろうか、二幕前半のさらに前半、下り坂部分には課題解決等の分かりやすいイベントがなく、(転機となった周囲の発言はあるものの)さらりと流れるように終わっている。続く二幕前半の上り坂(京本との対面以降)も、苦戦する様子などはなくとんとん拍子で進んでいく。変化や様子はセリフのないコマで描写し、そのコマをアルバムのように並べてどんどんと時をすすめていくのは、視覚表現媒体ならではの技だろう。シーン化されて時の流れが遅くなるのは、一部の会話シーンだけだ。

また個人的には、二幕前半で(単に上昇あるいは下降させるのではなく)V字型を作るという手法が勉強になった。使いどころは選ぶべきだけれど、イベント不足で二幕前半が単調になる恐れがある場合は有効な手段だと思う。

使いどころが限られるといったのは、狭小邸宅の感想でも述べたところだが、二幕前半で下げていく技法はメリットが薄いと考えているからだ。

例えば今回でいうと、努力を始めた藤野がめきめきと画力をあげ、京本に認められて、タッグを組むことになる──という流れも可能だったはず。それをしなかったのはテーマの表現上の理由が大きかろうが、短編の都合上イベントを仕込みにくく会話劇が中心になることや、そのような状況で上昇だけが続くと単調になりすぎることが挙げられるかもしれない。

一方で二幕後半以降は見せ場ということもあり、BS2に忠実な作りになっていたと思う。迫りくる悪い奴ら(孤独な生活)、全てを失って(京本の死)、心の暗闇(京本の家を訪れる)という感じか。

 

つくづく実感したのは、漫画は視覚表現ということもあって、動きが少なくてもシーンとして成立させやすいのかもしれない。一方小説は動きがないと分量が出てこないので、シーン化させにくい。ひたすら藤野が孤独に漫画を描くシーンは、文章で表現する場合動きを増やして上手くやらないと単なる情景描写で終わってしまいかねない。やはり今後も、文章作品の時間経過の扱いにを万で行きたいところだ。

また今回は触れなかったが、今後もう少しサンプルが得られれば、天才と秀才系の定型についても考えていきたいところである。